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自分にリミットをかけず、全力で
――『フィスト・オブ・ノーススター~北斗の拳~』では主人公ケンシロウとして限界突破、凄まじい迫力で魅せてくれました。それを経ての『マチルダ』のミス・トランチブル役、いかがでしたか。
あれも死闘でした(笑)。最初は役を掴むまでにすごく時間がかかったんです。稽古が始まって2週間は苦しかったことを覚えてます。歌も難しい、台詞の言い回しがイギリス独特で、まして日本語訳と台詞が入りづらい。女性である、声の高さ、癖など、一つ一つ考えながら作っていった感じです。
ただ、一旦役を掴んだら、演じるのは楽しかったですね。生のお芝居をする子供たちをいかに恐怖のどん底につき落とすか、それを毎回自分に課していました。自分にリミットをかけず、全力で挑みましたね。
――大貫さんのトランチブル校長は怖くてクレイジー!怪演と話題になりました。
トリプルキャストだったので、僕だったらどうやるかな?と、自分なりのトランチブルとを模索しました。
小野田龍之介くんは原作通りの正統派バージョン、木村達成くんは彼の空気を持っている。それなら僕はとことん振り切ろうと。大切にしていたのは、人を殺したことがある過去。きっと何かが狂っているはずだから、その狂気を宿すことができたらと。そのあたりで怪演と思われたんでしょうね。
あと、僕が一番メイクが濃いです。
――大きなカンパニーで海外チームと作り上げる作業はいかがですか。
海外プロダクションの日本初演作品は、『ビリー・エリオット 〜リトル・ダンサー〜』『メリー・ポピンズ』についで3作目。なので、慣れた世界でもありましたね。『マチルダ』は作品もよくできているし、海外で長く上演されているから、作り方のメソッドがしっかりしている。ちゃんとゴールに連れていってくれる、そんな信頼感がありました。
芝居の中で、肉体が大きな意味を成す
――8月末からハリー・ポッター役を務める『ハリー・ポッターと呪いの子』も海外プロダクションですね。
はい。『ハリー・ポッターと呪いの子』は観れば観るほど、そして稽古をすればするほど、総合芸術としてよくできているなと感心します。
しかも台詞が本当に良くて、気づきがたくさんあるんです。演者として、学ぶことも多いです。台詞はアレンジを入れずに正確に言う、立ち位置や動き、あとテンポ感、身体のあり方など。イギリスの作品だからこそ、品格みたいなものを身体で表さなければならない。
例えば、大勢の人々の前で怒る時に、「おい!」と机を叩いて激しく怒鳴るのはアメリカ風、心の中では怒りつつもクールに振る舞うのがイギリス風とか。稽古でも、「今のはアメリカ芝居だね、イギリスではそういうふうにしない」って、よくあります。
――そもそもハリー・ポッターには興味がありましたか?
僕はシリーズ第一作の小説が出た途端に買って読んで、それからずーっと大ファンです。だからハリーを演じるチャンスが巡ってきたこと自体、本当に奇跡なんですよ。『呪いの子』では父親になったハリーと、息子アルバスとの関係性や親子愛が描かれていて、今の自分とリンクするところが多いのも不思議です。
――『呪いの子』はストレートプレイですが、身体表現も豊富にありますね。
はい。身体表現、それにアクションもあります。
稽古前に30分間のウォームアップがあって、それがめちゃくちゃきついんです。僕、普段からこんなに身体を動かしているのに、最初の1週間は見事に筋肉痛になりました(笑)。でも、それだけ肉体ってお芝居の上で重要なんだと改めて実感しましたね。
先日、ジャンポール・ゴルチエ『フリークショー』を観たら、キャストたちがいきいきした肉体を駆使しながらお芝居をしている。彼らはダンサー?俳優?って驚きましたし、海外では踊りと芝居の境目がなくなってきたことを目の当たりにして。その意味では、僕は一つ強みを持っているんだな、と。『呪いの子』でも、台詞を言うテンションや速さで状況を説明したり、身体の動く速さで緊迫感を出すなど、言葉ではないところで表すことも多い。
芝居の中で、肉体が大きな意味を成すんです。
心のポジションの変化を大切に
――興味深い話ですね。身体表現といえば、今秋には村上春樹原作、インバル・ピント&アミール・クリガー演出の『ねじまき鳥クロニクル』の再演も。
『ねじまき鳥クロニクル』は僕にとって、コロナ禍で初めて公演途中で中止になった作品。
最後までできなかった悔しさがあって、それが3年経ってできる、喜びはひとしおです。カンパニーのみんなとまた集まれること、また今回ダブルキャストで首藤康之さんと同役ができることも幸せ。またあの作品世界に関われることが本当に嬉しい。
――初演はワークショップを重ねながら、ゼロから作り上げましたね。イスラエルの奇才インバル・ピントならではの、手作り感あふれる現場だったのが印象的でした。
インバルの作品は『100万回生きたねこ』についで2作目。
何とも言えない、アンニュイで幻想のような世界観が僕は大好きです。ダンスの抽象的な部分を余白として活かしながら、原作小説をそのまま舞台化。観劇なさった村上春樹さんも本当に喜ばれていました。インバルの手腕のおかげ、彼女のセンスとマッチしたんでしょうね。
そして素晴らしいキャスト陣!個性的な俳優たちが集まって、共に作り上げた幸せな時間。吹越満さんは毎回違うアイディアを持ってきて、インバルを困らせていたくらいです(笑)。
――インバル・ピントのクリエイターとしてのすごさはどんなところだと思いますか?
僕らのことを信頼してくれていること。そしてフィジカルをすごく大切にしていること。
思考が自由で、美術、衣裳、舞台セット、音楽、ダンス、お芝居の境目がないんですね。その境目が曖昧だからこそ、突拍子のない新しいものがどんどん生まれてくるんだろうなと思います。稽古では、躊躇なく「これ、どうしたらいいかしら?」と僕らに聞いてくれる。普通、自分にプライドがあるとなかなかできない。良い意味で頼ってくれるんです。だから、稽古では何を繰り出そうかと、刺激的だしワクワクする。
そういう現場は役者として楽しいです。そして最後にはちゃんとインバルが自分の責任のもとでまとめ上げてくる、さすがなんですよ。
――ダンス、身体表現の面で、インバル振付の特徴は?
動きの特徴としてはひねりが多く、軟体動物みたいな感じ。
見る側に余白を与え、好きなように解釈していいですよ、という振付が面白いです。僕が演じる綿谷ノボルには女性を乱暴するショッキングなシーンがあって、そこを振付で美しく、恐ろしく表現してくださいました。あのシーンは象徴的でしたね。
――『ねじまき鳥クロニクル』には名だたるダンサーさんたちが参加しています。初演の時に面白かったのが、皆さん休憩になっても椅子に座ることがなく、なぜか動いているんですよ。踊ったり、ストレッチしたり。差し入れのお菓子コーナーの前ですら(笑)。
僕もそうだけど、みんな陸のマグロなんです。止まったら死んじゃう(笑)。
――こうしてお話ししていると、大貫さんにとってダンスの経験、その肉体があることは、俳優としての根幹なのかもしれませんね。
確かにいろんな作品やワークショップを経て、答え合わせができるようになりました。感情がマイナス、下向きになると身体が下に落ちるし、テンションが上がると身体も上に上がる。また普通の人なのか、品格がある人なのかによって、肩から歩く人なのか、腰から歩く人なのか、手がよく動くか全然動かない人かなどを選択できる。視覚から入る情報はとても多いので、身体を使うことで伝わるんだと。
かといって、動きから人物を作るわけではなく、心のポジションの変化を大事にしています。その前のシーンが何だったか。例えば夜のシーンだったら、その日の朝に何があったか。どんな道中の行動、思いがあってここに至っているのか。そこで、自然と出た動きが面白いと思ったら取り入れる。あくまで、感情でやったら動いちゃった!が大事かと。実は台詞の中にも同じようなものがあって、今、芝居することが本当に面白いです。
――『ハリー・ポッターと呪いの子』と『ねじまき鳥クロニクル』は、出演期間が重なりますね。大きな挑戦になるのでは?
確かに挑戦ですね。ハリーの出番が思ったよりも多くて、実はドキドキしています。でも僕は暇がない方がいいから。休みがない方が合っているんです。
ほら、陸のマグロだから(笑)。
▼大貫勇輔 今後の出演舞台
・8月26日(土)公演より出演予定:舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』ハリー・ポッター役
・11月7日(火)~11月26日(日)東京公演: 舞台『ねじまき鳥クロニクル』綿谷ノボル役(ダブルキャスト)