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まず肝心なのは舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』は舞台でしか見られない、ハリー・ポッターシリーズ8番目の物語だということです(書籍も戯曲のみ)。映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」のラストで、父親になったハリーがキングス・クロス駅で子供たちを見送るシーンがありますが、この舞台はまさにそこから物語が始まります。筆者が初めて「死の秘宝」を観た時は、まさか続編が演劇になるとは、全く考えもしませんでした。良い意味で期待を裏切ってくれるハリー・ポッターシリーズ!
はたしてハリーたちはどんな大人になったのでしょう?そして子供たちはどんな性格?想像を巡らせていたことが、劇場でリアルに立ち上がるこの感覚、ぜひ劇場でご体験ください。
(取材・文:三浦真紀)
9と3/4番線ホームから、いざ出発!
「死の秘宝」の壮絶な戦いから19年後。ハリーは魔法省の魔法省執行部部長として働き、妻はロン・ウィーズリーの妹ジニー。二人の間には長男ジェームズと次男アルバスがいます。ハーマイオニー・グレンジャーは大出世して魔法界を率いる魔法大臣。夫はロンで、ジョークショップを営んでいます。子供は娘ローズ。
物語はホグワーツ魔法魔術学校の新1年生となるアルバスとローズが、キングス・クロス駅9と3/4番線ホームから旅立つところから始まります。…と、これは見たことのある光景!そう、シリーズ1作「ハリー・ポッターと賢者の石」で、ハリーが出発するあのシーン。当時のハリーは9と3/4番線ホームがどこにあるのかわからずに困ったわけですが、「呪いの子」のハリーは親として息子の旅立ちを見送る立場。孤独だったハリーとは違い、アルバスには温かい家族がいるし、ローズもいる。それだけで感慨深い…(泣)。
キングス・クロス駅とホグワーツ特急は、ハリー・ポッターシリーズを通して旅=冒険の始まりを意味するようで、この舞台も同様なんですね。
親子、それは厄介なものだったりもする
アルバスには温かい家族がいるから、何もかも安泰かと思いきや…。アルバスはどこへ行っても、あの有名な“ハリー・ポッターの息子”と見られてしまう。14歳と思春期に入るお年頃もあり、重荷になるのはよくわかる。
アルバスが車内で出会うのが、スコーピウス・マルフォイ。よりによってハリーと仲の悪いドラコ・マルフォイの息子。スコーピウスもヴォルデモートの子だと噂をされて傷ついている身で、二人は意気投合し友達になります。
コンパートメント式の車内や車内販売が不思議なお菓子を売りにくるところも、ハリーの時と同じ!ホグワーツ特急、ワクワクしますね。
ホグワーツでは新入生恒例の組分けが行われます。舞台の「組分け帽子」の表現は映画とはかなり異なり、私はこの舞台の組分け帽子が大好きです。この舞台全体の狂言回しも担っている感じがします。
アルバスはハリーと同じグリフィンドールを願い、周りもそう信じていたところ、行き先は衝撃のスリザリン!アルバスの血を考えると(そしてスコーピウスと仲良くなることからしても)確かにあり。だけどアルバスはグリフィンドールに入れない自分もコンプレックスなのかもしれません。
ここから怒涛の学校生活が始まりますが、アルバスは何をやってもポンコツで学友からはいじめに遭い、唯一の友達はスコーピウス。そんな息子に歯痒さを感じるハリー。ハリーは物心がついてから家族と暮らしたことがない分、思春期の息子にどう接したらいいのかがわからずに当たりが強くなってしまうことも。うーん、親子関係って本当に難しい。
三大魔法学校対抗試合、再び!
ハリーとアルバスがギクシャクする中、ある日アルバスはエイモス・ディゴリーとハリーの話を盗み聞きします。エイモスはタイムターナー(逆転時計)が魔法省により押収されたと聞きつけ、ハリーにそのタイムターナーで息子セドリックを生き返らせてほしいと頼みます。
セドリック・ディゴリー!ハリー・ポッターシリーズ第4作「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」の三大魔法学校対抗試合でハリーと共にホグワーツ代表として出場した、成績優秀で爽やかな学生セドリック。強烈なキャラクターが多いこのシリーズには珍しい正統派イケメンでしたね。ダンスパーティーではチョウ・チャンと踊っていたなぁなんて余計なことを思い出すわけですが(苦笑)、その名をここで聞くことになろうとは!
セドリックは三大魔法学校対抗試合で命を落としましたが、アルバスは彼の死がハリーのせいだったのではないかと疑いを抱きます。そして、セドリックを生き返らせるためにスコーピウスを巻き込み、エイモスの姪デルフィーと共にタイムターナーを盗み出し、三大魔法学校対抗試合の時代まで時間を巻き戻します。
アルバスが突き動かされるように冒険へと身を投じたのは、エイモスへの同情ゆえか、ハリーへの反抗心か。しかし、その挑戦は困難を極めるのです…。
様々な家族の形と愛の形
ハリーの妻ジニーは、アルバスとハリーが上手くいかないのを見て、しばしばハリーに助言をします。ジニーが強く逞しい母になったことに驚くと共に、ハリーと一緒に戦ってきただけのことはあるな、と。また育ったウィーズリー家自体がほんわかした家族でありながらも、信念を持ってヴォルデモートと戦ってきたわけで、そもそも強さがないとハリーとは結婚できないよね…などと思ったり。
ハーマイオニーとロンは相変わらずラブラブです。娘のローズは頭の回転が良く、おませでハキハキしてて子供の頃のハーマイオニーそっくりなのが可愛いですね。ドラコ・マルフォイは妻アストリア、スコーピウスにとっては母を劇中で亡くし、その喪失感の大きさが二人を変えたようにも思えます。
そして息子を亡くしたエイモス・ディゴリーの痛々しさ。「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」では気の良いお父さんというイメージでしたが、全く別人のようで見ていて辛くもなりました…。
様々な家族の形と愛の形、或いは愛の喪失。ハリー・ポッターシリーズを通したテーマの一つが『ハリー・ポッターと呪いの子』にもしっかり流れています。
戦わざるを得ないものの栄光と痛み
振り返ると、ハリーの人生はヴォルデモートとの壮絶な戦いの連続でした。彼の栄光の陰には、その栄光と同じくらい深い闇がある。それは決してハリー自らが望んだものではなく、生まれた時には決められていた運命なのかもしれない。「炎のゴブレット」に続く、第5作「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の冒頭では、目前で起きたセドリックの死を夢で見てうなされるハリーの様子が描かれていました。
ハリーはシリーズを通して自分のために犠牲者が出ることを嫌がっています。それでも戦わざるを得ない運命を担う。そこには当事者でなければわからない激しい痛みがあることでしょう。このあたり、筆者はどうしても現代の戦争と重ね合わせて考えてしまいます。勝ち負けに関わらず、犠牲者は出る。その犠牲に私たちはどう向き合うのか。
またいかなる運命を受け入れて進む、その勇気が必要なのだと『ハリー・ポッターと呪いの子』が教えてくれる気がします。
有名キャラクターが次から次へ!
ハリー・ポッターシリーズを観てきた人たちにはたまらない、有名キャラが続々と出てくるのには、もうビックリ!ホグワーツではマクゴナガル校長が指揮をとり、嘆きのマートルは相変わらずトイレ周りでふらふらしていますし、スネイプ先生やアンブリッジ先生、マダム・フーチ、悩めるハリーの前には時折ダンブルドアも現れますし、ケンタウルスのベインなども。
オールスター勢揃いというファンにはたまらない布陣でありながらも、物語には一切無理がない。あの人はこうなった?あの時はこうだったのか!など、多くの伏線が回収されると共に、新たな伏線になり得そうなものも?これこそ長く続くシリーズものの醍醐味です。
『ハリー・ポッターと呪いの子』を観ずして、ハリー・ポッターは語れません。ぜひ劇場でご体験を!