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【寄稿再掲記事 第3弾】
世界を震わせた最高傑作が2024年夏、パワーアップして帰ってくる!7月27日開幕ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』。作品解説第3弾は『ビリー・エリオット』の時代背景をご紹介。
※本文は2020年公演プログラム寄稿の再掲です。
ダラム炭鉱祭と炭鉱業国有化が示す未来
ミュージカル『ビリー・エリオット』は、主人公ビリーの故郷ダラムで行われたダラム炭鉱祭のニュース映像から始まる。1871年に始まったこの歴史ある祭典は大集会と呼ばれ、毎年七月の第二土曜日に開催される。労働者階級の「団結(solidarity)」を示す重要な行事として、今も英国全土から大勢の人々が集まるのである。このニュース映像は1947年にクレメント・アトリー労働党政権下で炭鉱業が国有化された当時の人々の姿である。ブラスバンドの演奏に合わせて誇らしげに彼らが掲げているのは、全国炭鉱労働組合(The National Union of Mineworkers)各支部のバナー(旗)。炭鉱労働者にとって国有化とは、産業の保護と再建および将来の労働条件の改善を約束する一つの大きな達成であった。
マーガレット・サッチャー首相の登場
ところが炭鉱業を取り巻く状況はその後悪化し、炭鉱労働者の期待は裏切られていく。英国病と呼ばれる経済停滞の中、国家の補助金の投入なしでは成り立たなくなった国有企業に対する風当たりは強かった。とりわけ1979年に保守党のマーガレット・サッチャー(1925-2013)が首相になってからは、産業の合理化を阻もうとする労働組合は目の敵にされた。サッチャー首相は、英国に自由主義的市場原理を導入し、国民を過度に保護しようとする福祉国家体制との訣別を目指したのだ。
サッチャーは、全国炭鉱労働組合委員長アーサー・スカーギル(1938- )に的を絞り、着々と対決の準備を整えた。そして1984年3月6日、サッチャーがアメリカから呼び寄せた「組合つぶし」の異名を持つイアン・マグレガー(1912-1998)全国石炭庁総裁が、2万人の失職につながる20の不採算炭鉱の閉鎖計画を発表する。この宣戦布告に反発したスカーギル委員長が、可能な地域からストライキに突入するよう指令を出したことにより、戦後最大の炭鉱ストライキが始まっていく。
炭鉱ストライキにおける困窮・死闘・分断
このストライキがその後一年間も続くことになるとは、炭鉱労働者は誰一人予想しなかっただろう。それは幾重にも厳しい戦いであった。まず、このストライキは経済的困窮との戦いであった。ストライキとは、労働者が仕事を放棄することで経営側に経済的打撃を与えて交渉を有利に進めるという戦術だが、当然その間の彼らの収入は絶たれてしまう。彼らを支えるはずの労働組合は、違法ストに打って出たとみなされたことで財産を没収され、その財政は徐々に逼迫していった。労働者階級の家庭で貯蓄を取り崩してもたかが知れており、様々な支援団体からの援助はあったものの、ストが長引くにつれて彼らの窮乏は熾烈を極めた。だからこそ、仲間を裏切って職場に戻り、働いて現金を手にする「スト破り(scab)」に対する憎悪はいやが上にも増したのだ。
また、この戦いは時に血が流れる死闘であった。ストライキ中の労働者たちの務めの一つは、スト破りが仕事に戻らないようにピケを張ること、すなわち、事業所の入り口などを見張、体を張って彼らを阻止することであった。そこで警官隊とぶつかり合うのは必然で、数多くの抗争が繰り広げられた。最大のものが6月18日にサウス・ヨークシャーのコークス工場で勃発したオーグリーブの闘いだ。数千人の労働者と数千人の警察官が激しく衝突、双方に多くの負傷者を出した。
そして、炭鉱労働者を苦しめたのは、人々の間に深刻な分断が生まれたことである。度重なるストライキに嫌気がさしていた中産階級から支持が得られなかっただけでなく、労働者階級の中からも反発があった。全国一斉の行動が呼びかけられたにもかかわらず、優良炭鉱があるノッティンガムシャーの炭鉱労働者たちはストライキ反対に回るなど、全国炭鉱労働組合自体でさえ一枚岩にはなれなかった。苦戦を強いられ、しばしば暴力的な手段に訴えざるを得なかったストライキ参加者たちを、鉄の女サッチャーは「内なる敵」と呼んで切り捨て、彼らに屈することは議会制民主主義を暴徒の支配に明け渡すことだと言い放った。さらにはクリスマスが間近に迫る中、暖房用の石炭さえなかなか手に入らないスト参加者に対して、全国石炭庁は職場に戻れば特別ボーナスを支給すると発表した。この切り崩し策により、労働者たちは一人また一人とストライキから脱落、団結の絆は少しずつ断ち切られていった。それでも戦い続けた炭鉱労働者たちは、自分たちを敵呼ばわりし、お金をばらまいて仲間をスト破りの裏切り者に変えたマギー・サッチャーに対して、恨み骨髄に徹することとなる。
ストライキの終焉と受け継がれる「団結」の文化
結局、1985年3月3日の全国炭鉱労働組合特別代表委員会でストライキ中止が決定され、約一年の長きにわたって続いた炭鉱ストライキは炭鉱労働者側の敗北という形で幕を閉じることになった。3月5日のテレビニュースは、ブラスバンドの音楽が流れる中、戦い抜いたという誇りだけを胸に各支部のバナーに導かれて職場に復帰する彼らの姿を映し出した。彼らが戻っていった炭鉱は一つまた一つと閉鉱し、1994年には経済性の高い炭鉱だけを残した上で炭鉱業は民営化された。そして2015年12月18日、ヨークシャーのケリングリー炭鉱において英国における最後の深部採掘が終了し、炭鉱業の歴史に一つの区切りがつけられた。
しかしながら、炭鉱ストライキの闘争の記憶は今に至るまで様々な形で語り継がれている。日本では『ビリー・エリオット』のもとになった『リトル・ダンサー』(2000)はもちろんのこと、ストライキ後の炭鉱ブラスバンドの奮闘を描いた『ブラス!』(1996)や、ロンドンのLGBT団体がウェールズで炭坑ストライキを支援したという実話を基にして作られた『パレードへようこそ』(2014)などの映画でこのストライキを知った人は多いだろう。その他にも英国では、様々な詩・小説・音楽・テレビ番組・演劇が作られてきた。
「1984-85年炭鉱ストライキ」が時代を越えて注目されるのは、この歴史的事件がその後の英国社会が進む道を決定的に変えたからだろう。地域の基幹産業を奪われ失業者が増大した炭鉱コミュニティでは、人々は将来への不安と閉塞感の中で自らが進む道を模索しなければならなかった。そして全国炭鉱労働組合の敗北はその後の労働運動の弱体化を招き、サッチャーが標榜した市場原理と能力主義に基づく競争社会の中、格差と不平等が英国社会全体に広がっていったのである。確かに炭鉱がなくなったのは時代の流れかもしれない。しかし、あの闘争を振り返り、国家の強大な権力が人々の心や生活をないがしろにして進もうとする時、団結して戦うことの重要性を私たちはあらためて感じている。『ビリー・エリオット』もまた、人々の「団結」が認められる場でこそ個人の才能が発揮され、輝かしい未来が花開くことを教えてくれているのではないだろうか。ちょうどビリーが団結する炭鉱労働者たちの頭上にその姿を表すように。
2024年公演概要
作品名 | Daiwa House presents ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』 |
期間 | 【東京公演】 オープニング公演:2024年7月27日(土)~8月1日(木) 本公演:2024年8月2日(金)~10月26日(土) 【大阪公演】 2024年11月9日(土)~24日(日) |
会場 | 【東京公演】東京建物Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場) / ▼座席表 【大阪公演】SkyシアターMBS |
チケット料金 | 【東京公演】 S席:平日¥15,000/土日祝¥15,500 A席:平日¥12,000/土日祝¥12,500 B席:平日¥ 9,000/土日祝¥ 9,500 Yシート:¥ 2,000(期間限定販売・20歳以下対象チケット)※ホリプロステージのみ取扱 【大阪公演】 S席:平日¥15,000/土日祝¥15,500 U-25:平日¥12,000/土日祝¥12,500 チケット販売詳細>> |
作品HP | https://horipro-stage.jp/stage/billyelliot2024/ |