ねじまきレポート⑦/レポーター:トモベカヨコ

はじめまして、こんにちは。トモベカヨコです。

今回この“舞台ねじまき鳥クロニクル”稽古場潜入レポートは、今の(私)そして、過去の(わたし) の視点で、とても個人的な文章を書きました。

読んでくださる方全員に響くような文章ではありませんが、たとえば100人(そんなに沢山の方が読んでくれたと仮定して)のうちたった1人の貴方にこの舞台を観に行きたいと強く感じてもらえたらと思って書きます。

そしてできれば、その1人の貴方がたくさんいて、ひとりでも多くの方に、この素晴らしい“舞台ねじまき鳥クロニクル”を観ていただけたらと願います。

「ねじまき鳥クロニクル」は【わたしの物語】

2020年舞台写真/撮影:田中亜紀

私は小さな喫茶店を、夫と営んでいる。
けっして繁盛店ではないが、親切な大家さんや友人たち、お客様にめぐまれて、細々と日々を過ごしている。
毎日ちょっとしたドラマがあり、少し変わった普通の人々がおとずれる店だ。

今回、“舞台ねじまき鳥クロニクル”の稽古場に潜入し、レポートを書ける機会があると友人の“羊男”さんから聞いて、村上春樹さんを好きな友人達、踊り、舞台、俳優の仕事をしている若いお客さまたちに「これはとてつもなく素晴らしい機会だから、絶対に応募した方がいい」と(多分10人以上に)メールをし、声をかけた。

だって、インバル・ピント、アミール・クリガー、藤田貴大、大友良英、(敬称略)そして、「ねじまき鳥クロニクル」だ。

自分が応募するという選択肢は当初思いもつかなかった。
我々はすでに初日のチケットを購入していたし、稽古場潜入の予定日とされている土日はお店が忙しい。
それに私は44歳だ、こういった素晴らしい機会は若者たちのためにあるべきなのだ。
けれど、心の中にある小さなクエスチョンが私の頭をノックしてくれた。

三十年前、笠原メイの歳に手に取り読みはじめた「ねじまき鳥クロニクル」
その時(わたし)は彼女だった。

無理解な大人たちや心を通わせる事のできない同級生にかこまれて、わたしは秘密を抱え、ひとりぼっちで立ち尽くしていた。丘の上の公園から、自分の住む小さな街、そこに住むたくさんの人々が暮らす家々の屋根を見下ろし、人間は結局ひとりで生きていかなければならないのだと心の中に思っていた。

わたしを孤独の中に置き去りせず、地上に繋ぎ止めてくれていたのはこの物語だ。

そしてそれから長い間、わたしの深淵を笠原メイが、わたしの苦痛を加納クレタが、いつも代わりに語ってくれた。久美子が呪われた血から逃れたいと助けを求める時、わたしもまたここから救いだしてほしいと苦しんでいた。

この物語は、“僕”は、何度も何度もそこからわたしを救ってくれたのだ。

夫に聞いた。
(もし、ねじまきの舞台稽古潜入に当選したら 日曜日に店を休むことになるが申し込んでも良いか?)と。

「もちろん」

夫の答えは簡潔だった。

彼は私について大事な事を私より理解しているのだ。
「ねじまき鳥クロニクル」は【わたしの物語】なのだ、と。

【1】からまりあったトオル1時間、井戸の底で起きていること。

今回のレポーター募集には多数の応募があり、その中から8人が選ばれ、2グループに分けられた。今日潜入するのは4人。担当してくれる制作のYさん、一緒に参加する幸運な3人と最初に挨拶を交わす。

稽古場に入り、私達はキャットウォーク(2階くらいの高さから舞台をロの字に囲む細いスタッフ用通路)を、足音を忍ばせてYさんについていく。

とても近くで舞台を正面から見下ろすことができる。
すでに稽古がはじまっている、手をのばせば届きそうな距離に演者たちの息遣いが聞こえる。

パリのオペラ座と同じ、八百屋舞台とよばれる 5°の傾斜のついたステージの真ん中にトオルが2人からまりあっている。

笠原メイが言う、
「考えなさい、考えなさい、考えなさい」
井戸の蓋をピシャリと閉める。

一瞬で全てにひきこまれた。
門脇麦さんはすでにメイだった。

「考えなさい、考えなさい、考えなさい」とトオルたちに、我々に、彼女自身に言葉を投げつける。
彼女の強い孤独に私は胸を震わせる事ができた。そこには十五歳の(わたし)がいた。

1時間、井戸の底で2人はからみあい続けた。

インバル、アミール、2人のトオルはそのからみあい方をどうするのか、幾度も試し、ディスカッションを繰り返しながらイメージするものを作り出していく。

我々はキャットウォークから、息をのみ その光景をじっと見下ろしている。
これは本当に素晴らしい経験だ。

出来上がった舞台はお金を払うことで観ることができるが、その舞台が作られていく今日のこの光景は関係者以外では今日のメンバーとして選んでもらえた我々4人しか見ることができない。

彼らは美しいコミュニケーションで、そのからみあいを追求していく。
なんども笑いがおこる、2人のトオルはまるで1人だ。

村上作品では井戸、そしてこの(壁抜け)がとても重要なファクターとなる。
だからこんなにも時間をかけているのだ。

ああ、インバル・ピントにとってもまた“ねじまき鳥クロニクル”は【わたしの物語】なのだ。

【考察】
なぜ“ねじまき鳥クロニクル”にはわけのわからないものが沢山でてきて、その伏線を回収しないのかという問いについての答え

(壁抜け)とは何か?わかりやすく説明するとしたらそれは(地下二階に降りていく)ということ。

「ねじまき鳥クロニクル」が好きだというと、「読んだけれどよくわからない話だ。」「あんなに変なものがたくさんでてくるのに、それらの伏線をなぜ回収しないのか?」
と人々によく聞かれる。

なぜか?
「ねじまき鳥クロニクル」は、読み手自身の地下二階に降りていくためのお話だから。それが私の答えだ。

自分自身を1つの家に例えたとき、
一階のリビングは家族と過ごし、気軽に友人を呼ぶエリアだ。
二階の自室には少しプライベートなものがあり、時々気のおけない誰かが訪れる。
地下一階は普段はあまり人に見せない部分、秘密や心の中で考えている物事があり、心の奥深く、蓋をされて、自身にも気がついていない場所に地下二階はある。

過去から続く悪霊、悲しみ、死の深淵が闇の中にドロドロと混ざり合い、呪われた血が流れる場所だ。井戸の底に降りて、トオルはじっと考える、考える、考える。
そしてそういった暗くドロドロしたものたちと必死で戦い、(勝ち目は殆ど無い)“僕“は“彼女“がいる208号室(地下二階的部屋)へ壁を抜けて移動することができる。

長い期間をかけて、繰り返し“ねじまき鳥クロニクル”を読むことで、わたしもわたしの地下二階へ何度も降りていった。
そこには物語と同じように(わけのわからないもの)がゴロゴロと転がっている。

真っ暗な闇のなかで、勇気をかき集め そこにあるひとつひとつを手に取り、そのモノの悲しみの温度を感じ、それをなで、埃を払う。時々には叩き割り、壊し、じっと抱きしめ、血を流し、それでも毎回地上に戻ってくることができた。なぜか?

トオルが久美子を取り戻すために必死でもがき戦ってくれたことが間接的にわたし(或いはわたしたち)を救い、地上、この世界へ繋ぎ止めてくれたのだ。

物語にでてくる(わけのわからないもの)は、わたしたちの地下二階に転がっているものたちだ。
そして“もし伏線の回収”があるのだとしたら、それは各々の地下二階でいまもなお、行われている。

一時間近くに及ぶ、からみあいの稽古、演出が終わり、成河さんがキャットウォークの私達に気がつき明るく声をかけてくれる。大知さんや門脇さん、スタッフさんもみなにこやかに手を降ってくれる。

舞台の稽古場というと殺伐としたイメージだったが、彼らは終始和やかで仲が良く、演じる事、踊る事を楽しんでいた。
現場の楽しい雰囲気に、(ああ、私が十代の時にこの舞台を観ることができたなら、私は踊りを辞めることは無かったかもしれない。)とまた、胸が締め付けられた。

【2】衣装のシワひとつまでインバル・ピント

“特に踊る”ダンサー達が新しい衣装を合わせ、舞う。
美しく鍛え上げられた身体の動きを間近で見ることが出来る幸運にまた感謝する。

インバルが衣装の裾をもちあげ、仮止め、ウエストや肩を数ミリずらし、ダンサーが踊る。繰り返す。ダンサーの動きをみて、よりインバルの思う流れを作りだすために、数センチ、数ミリ単位かもしれない。
微調整をしていく。

ここまでやるのか!彼女にとっては当たり前のことなのだろう、“特に踊る”ダンサーたちがこの舞台の全てなのだ。
踊りつづけなければならない。音楽が続く限り。

【3】Gravity!→NEXT!(爆笑)

ダンサーの衣装あわせが終わり、舞台稽古が再開する。

インバルが「Gravity!」大きな声をだし受話器をとろうともがく。
トオル(成河)が同じ場面を彼女と何度も繰り返し、シーンをつめていく。
重力が邪魔をして、久美子からの電話になかなか出ることができないのだ。

久美子が言う、

>クラゲ。世界中のいろんなクラゲ

二人がコンピューターで通信する重要なシーンを現代にどのように再現するのか、気になっていたのだが、電話という形に替え(違和感は無い)、“特に踊る”のダンサー達がコチラ側とアチラ側で苦しむ二人を表す。

>静かな夜には
ぼくはその声をはっきりと聞き取ることができる
なぜならそれは
ぼく自身を消し去ることと
同じことだから

トオル(成河)が言う。(私)はキャットウォークから涙をこらえる。
そこには必死で助けを求める(わたし)がいた。久美子の苦しみを手に取るようにありありと感じる。

幸せになりたいと願う、しかしいっぽうで自分には幸せになる資格などないのだと自身に言い聞かせてもいる。その呪いから、どんなに遠く離れたつもりになっても自分の中に流れる血を一滴も残らず全て入れ替え、消し去るのは不可能だ。それは死ぬことと同じだから。
自分が幸せになることができぬならせめて、愛する人をその汚れた血の因縁からできるだけ遠ざけたいともがく。

動きつづける壁と“特に踊る“8人が私に体感させる。
彼女の苦しみを、まるで現実の痛みのように。

舞台上では動く壁と“特に踊る”ダンサーの複雑な動きがまた幾度も繰り返される。

「NEXT!」

インバルの大きな声が聞こえ、爆笑が起こる。ハッと私も我にかえる。彼らが踊り表す久美子の苦しみに、入り込んでしまっていた。集中して行われていた、壁と“特に踊る”メンバーとの複雑なシーンの稽古が一旦終わり「次へ」ということだ。

真剣ながらも舞台上は終始和やかなムードで、みな稽古を進めている。みながこの舞台をよりよいものにしようとしている。踊ることを心から楽しんでいる。

しかし、その裏に必ずあるはずの、個々人のいまここに至るまでの苦しみと痛みは(私も10年踊りをしていた、だから想像する。) 想像を絶するもののはずだ。

初演でもあったシーンではあるが、演出を変え、メンバーも変更している。
3年経った再演の練習たった数日目で(多分このシーンの稽古は毎日ではないだろう)、この複雑なシーンがここまで仕上がっていることに、畏怖の念を感じ背筋がぞっとする。

ここにいる人々のすべてがプロフェッショナルなのだ。
そしてその全員にとって、ねじまき鳥クロニクルは【わたしの物語】なのであろう。

【4】我々観客がどのタイミングでどこを見たら良いのか?DOGWALK

稽古場潜入はすでに3時間が経ち、残り1時間となってしまった。
いつまでもここに居たいと思いながら、最後の1時間一瞬も見逃すまいと集中して舞台を見つめる。
品川パシフィック・ホテルのコーヒールームで加納マルタとトオル(大知)が猫探しについて話すシーンだ。

原作に忠実ながらも、インバルらしいユーモアがあり、猫を探す世界の裏では犬の散歩が行われている。そして、リンクする。

「(我々観客がどのタイミングでどこを見たら良いのか?)を作っていきましょう」とインバルが最初に伝える。

そして視点、視線、踊り、アミールとインバルだけでなくそこにいるみなでシーンが作り上げられていく。演者もスタッフも全員の、ひとりひとりの魂が輝き、あたたかく血が通っている舞台だ。

遠い過去から続く、そしていまもなおある巨大な悪に立ち向かうために、わたしたちはそれぞれに命の重さをここで、この舞台で知るのだ。

時間が来てしまい、我々幸運な4人組は4時間の稽古場潜入を終える。
舞台の幕があがるまで、この後も膨大な量の稽古が繰り返されるのであろう。
そのなかの一日のたった数時間だが、見せていただいたこの光景を、私はこの先絶対に忘れないと思う。

ここまで私のレポートを最後まで読んでくれた方(がいるとしたら)、ありがとうございます。

もし貴方が、物語「ねじまき鳥クロニクル」を読んで“なんだかよくわからない話だな”と思ったなら、その“なんだかよくわからないという感じ”を大切にしてください。
それは貴方が自身の地下二階に降り、そこにある“なにか“に触れたということなのだから。
それから、私と同じように 物語「ねじまき鳥クロニクル」が好きな方、楽しみにしていてください。

“舞台ねじまき鳥クロニクル“はきっと、そこを通り抜けた人々のこの後の人生を支え、小さく照らし、励ましてくれる体験となるのだと信じます。

今回、この稽古場潜入レポートを書くという、素晴らしい機会を作ってくださった
すべての関係者、スタッフの皆様に心より感謝申し上げます。
株式会社ホリプロさんから“ねじまきレポーター”に任命していただき、こちらのレポートを書かせていただきました。

*地下二階という表現は、みみずくは黄昏に飛びたつ/新潮社から引用しました。

作品名舞台『ねじまき鳥クロニクル』
期間2023年11月7日(火)~11月26日(日)
会場東京芸術劇場プレイハウス / ▼座席表
上演時間1幕90分/休憩15分/2幕75分(計3時間)予定
チケット料金S席:平日10,800円/土日祝11,800円
サイドシート:共通8,500円
U-25(25歳以下限定):6,500円
(全席指定・税込)
ツアー公演大阪、愛知
作品HPhttps://horipro-stage.jp/stage/nejimaki2023/

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