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【対談】河合祥一郎×福山康平/『ワイルド・グレイ』を観る前に知っておきたい基礎知識<前編>階級社会と審美主義
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2025年1月8日に新国立劇場 小劇場にて開幕を控えるミュージカル『ワイルド・グレイ』。開幕に先立ち、アルフレッド・ダグラスを演じる福山康平とシェイクスピア学者・東京大学教授である河合祥一郎先生の対談が実現!前編・後編の2本立てで本作をより楽しめる基礎知識を対談形式でご紹介。前編では、19世紀末・イギリスの階級社会と審美主義をテーマに語り合っていただいた。

(取材・文:三浦真紀)

▼対談後編はこちら

【平間壮一、廣瀬友祐、福山康平】
▼稽古場ダイジェスト映像

01  19世紀末・イギリスの階級社会
02  ワイルド、ロス、ダグラス 3人の関係性
03  オスカー・ワイルドという人物

19世紀末・イギリスの階級社会

――勉強熱心な福山さんから河合先生に質問がたくさんあるとのこと。このチャンスにぜひうかがってみてください。

福山:はい。この作品が決まった頃、ちょうど先生が手掛けられた新訳『ドリアン・グレイの肖像』が発刊されて、読ませていただきました。

『新訳 ドリアン・グレイの肖像』(オスカー・ワイルド/著 河合祥一郎/訳 角川文庫)

河合:ありがとうございます。

福山:僕は台本を先に読んだのですが、知識として読んでおかないと!って思いました。僕の知っている世界と全然違い、特にあと書きはとても助けになりました。

河合:当時は貴族の世界ですからね。

福山:19世紀末のイギリスは貴族と中流階級がきっちり分かれていたんですね。

河合:はい、生まれによって完全に分かれていました。今は民主主義の時代になりましたから、貴族と平民との差別はありません。今のイギリスでは元貴族でも土地を所有することが税制上難しいので、屋敷を博物館にして入場料を取るとかしないとやっていけない状況です。昔のような貴族、つまり働かなくても暮らしていける殿様のような人は、実際にはいなくなりました。でも19世紀末には、全く働かずに生きていける人たちがいたわけです。

福山:貴族たちは馬車に乗り、公園に行き、ランチをとり、晩餐に出て、サロンで寛ぐ、と。

河合:そうです。政治では貴族院があり、貴族から議員が選ばれます。そこで、社交界でいろんな人と知り合うことがとても重要になるわけです。イギリスでは社交のシーズンが決まっていて、普段は貴族たちは田舎の屋敷で暮らしていますが、夏頃からロンドンに出て社交シーズンを過ごし、寒くなったら田舎に帰る。中にはクリスマスシーズンまでロンドンにいる貴族たちもいました。

福山:階級としては、僕が演じるアルフレッド・ダグラスは代々の貴族で、オスカー・ワイルドは中流階層の出身ですね。

河合:はい。ただワイルドの母親は貴族階級の人たちとの交流がありました。彼女自身が文人で詩を書き、自分でサロンを開いていたような人物です。面白い逸話があって、respectableというのは「まともである、一般の人よりはマシ」というニュアンスの言葉ですが、母親は息子のオスカー・ワイルドに「この家でrespectableという言葉を使ってはいけません。それは下々が言う言葉です」と言っていたと。そんな母親の影響があり、オスカー・ワイルドには自分は貴族であるという意識があったんです。本物の貴族ではないにしろ、父親は眼科医と階級が上なので貴族と交わることができました。

福山:ロバート・ロスの階級は?

河合:彼は一般の人で貴族ではありません。ワイルドは32歳の時に、15歳のロスと出会います。ワイルドは後に、友達に「僕が(性的に)口説かれた相手は誰か知ってる?ロビー(ロス)なんだよ」と。

福山:つまり年下のロスがワイルドを……?

河合:その道に導いてしまったんですね。だけどロスはイケメンではなかった。その後、ワイルドがダグラスに出会ったら、これがもう絶世の美男子で。

福山:僕が演じるにはプレッシャーなんですけど(笑)。

河合:いやいや。つまりワイルドは『ドリアン・グレイの肖像』の物語、そのままの人生を歩んだわけです。

福山:だけど、『ドリアン・グレイの肖像』が先に書かれたんですよね?

河合:そうなんです。面白いのはオスカー・ワイルド自身が、「小説が人生を模倣するのではなく、人生が小説を模倣するのだ」と『虚言の衰退』の中で書いている。それを彼は地で行ったんです。

福山:普通であれば実際に起きたことを小説にするところ、その逆で小説に書いたことが、実際に起きてしまったと。その起きたことが『ワイルド・グレイ』で描かれるわけですね。

河合:はい。だから登場人物3人の関係を事前に把握していれば、観劇をより楽しめると思いますよ。

2025年1月上演ミュージカル『ワイルド・グレイ』メインビジュアル

福山:もちろん僕らは『ドリアン・グレイの肖像』を読んだことのない方でも楽しめるように作りますが、読んでおくことで解像度が上がり、魅力が伝わるのかもしれないですね。

河合:そう思います。『ワイルド・グレイ』の台本はかなり史実に基づいて書かれていますから。新たに作り上げたというよりは、小説の世界とワイルドの実人生をしっかりと構築している。よく調べたなぁと感心します。

福山:先生のお墨付きをいただきました(笑)。

ワイルド、ロス、ダグラス 3人の関係性

福山:僕は先に台本を読んだから、史実を調べるうちに混乱しちゃって。台本ではロスとダグラスがワイルドを取り合うような、いわば元彼と今彼の三角関係という構造になっています。資料によるとダグラスはロスと2人で旅行に行ったりもしてて、現代の恋愛という枠では到底理解できない。

河合:ロスがいい人なんですよ。ロスはワイルドのことが心底好きで、ワイルドがダグラスを好きなら一緒にいてもいいよ、と認めてしまう。実際、ワイルドが投獄された際にダグラスは逃げてしまいますが、ロスは支え続ける。最終的にワイルドの全集を出したのはロスが最初ですしね。男としてというよりは彼の文学者としての才能に惚れていたんだと思います。一方のダグラスはものすごくプライドが高い人で。

福山:突き抜けて高い気がします。

河合:いろんな逸話があるのだけど、例えばワイルドがフランス語で書いた『サロメ』の英訳が出る時に、ダグラスが英訳してあげると言うんです。ところがワイルドは君のフランス語の知識は小学生レベルだからと拒否したら、ダグラスが逆切れして、お前が書いた原作がいけないんだよと。ワイルドはこれはまずいと思うんだけど、そんな二人をロスが仲直りさせてしまいます。仲直りして、ダグラスは僕の翻訳でいくんだねってなるんだけど、ワイルドとしては誤訳だから直したいところがいっぱいある。

『新訳 サロメ』(オスカー・ワイルド/著 河合祥一郎/訳 角川文庫)

福山:自分が魂を込めて書いたのに。

河合:それでもダグラスは自分の訳を下訳みたいに使うのは許さないと、とにかくプライドが高い。結局ワイルドが折れて、ダグラスの訳で出版されました。だから、英訳『サロメ』には割と誤訳が残っているんです。

福山:ワイルドは納得がいかないけど、君の名誉のために出すかってなったんですね。ワイルドは大人であり続けるというか。

河合:ダグラスのその激しく短気な性格は父親譲りなんです。今あるイギリスのボクシングのルール、そのベースを決めたのはダグラス卿。つまりダグラスの父親なんです。ボクシングが大好きで、路上で人と罵り合うような人。ダグラス卿はワイルドが自分の息子を性的に誘惑していると知った時、絶対に潰してやると決めたんですね。

福山:それは息子を守るため?

河合:息子がそういう目に遭ったことが自分の恥辱だと思ったんじゃないでしょうか。息子とは憎み合っていた関係だから。ダグラスはその激しさを受け継いでいて、親父を絶対許さないという思いがあります。

福山:台本を読んでいると、ダグラスって大丈夫かな?って思います。手紙や史実を読むと、かなりの激情型でなかなかひどい。だけど、そういう人なんですよね。彼がいなければ、ワイルドは牢に入ることもなかったのに。当時、男色は明確な罪だったからワイルドは投獄されたわけですが、どのくらいの重さの罪だったんですか。

河合:同性愛を禁じるソドミー法という法律があり、殺人罪に匹敵しました。人を殺すのと同じレベルであり得ないと思われていたんです。

福山:現代の、多様性を理解していこうという風潮とはまるっきり逆の時代だったんですね。

河合:裁判では、実際に行為に及んだかどうかの証拠は上がらなかったんです。ワイルドには証明不可能だから、裁判に負けることはないという思いがきっとあったのでしょう。しかし修正法案ができて、実際に行為があったかどうかは問わなくていい、社会的に男色行為として極めてみだらな行為に及んでいると思わせた時点でアウトになったんです。ワイルドは労働者階級の少年たちをホテルの部屋に呼んで、シガレットケースを渡したり一晩を共にしたりしていて、ダグラスの父親は、私立探偵を雇って証拠集めをしたのです。

福山:ワイルドを有罪にして牢に放り込もうと。

河合:そもそもワイルドは裁判に出なければよかった。

福山:周りはワイルドに逃げろ逃げろと言っていましたね。

河合:それでも逃げなかったんですよね。

福山:ワイルドも不思議な人ですね。

オスカー・ワイルドという人物

福山:河合先生にとってオスカー・ワイルドという人はどんな印象ですか。

河合:生活面では非常に気どっていて、社交界の花形でもありました。おしゃれで、その装いを周りの若い貴族たちが真似するくらいに。しかも会話術に長けていて、当意即妙のエスプリを披露するのが得意。頭が切れて、弁舌さわやかな洒落者。その一方で芸術を信じ、新たな芸術が生まれなければならないと思っています。

ワイルドは美を突き詰めることに人生を懸けていました。これはワイルドがオックスフォード大学で学んだ時、ウォルター・ペイターが書いた『ルネッサンス』の中に、「人生はあっという間に過ぎてしまう。その美しさを捉える瞬間があって、美しさをつかの間であってもちゃんと捉えなきゃいけない。それが人生を生きるという意味だ」とあり、その通りだと共感しました。あっという間に消えてしまう美をいかに捉えるかに人生を捧げる。だから彼は自分の部屋を美しい美術品で満たし、美に囲まれて生きようとしたんです。

福山:『ドリアン・グレイの肖像』の中にも、宝石、絨毯、装飾についてひたすら書かれている章がありますね。これは何だ?とびっくりしたんですけど、入れる意味がワイルドにはあったんだろうなって。

河合:そう、それが審美主義です。『ドリアン・グレイの肖像』は、ドリアン・グレイという美を求めた男の崩壊を描いています。美を求めることと普通に人生を生きることは拮抗する、という思いが多分ワイルドの中にはあったんだと思います。

福山:彼としては拮抗する中でただ本を書くレベルではなく、自分が美として存在しなければいけない。そんな使命感みたいなものを持って生きていたわけですね。着飾ることにしても、お喋りにしても、現実っぽい生活感のあるところから離れて。

河合:作り出さなければいけないという思いに駆られていたんでしょうね。美はその辺に転がってるものではないと。例えば彫刻や絵画はものすごく時間をかけて作り出されたものが美として存在する。小説を書くにしても作り込む姿勢が彼は重要だと思っていて。そこにはアートとネイチャーの対比があります。普通の人はネイチャーが当たり前の人生で、アートはお金を払って消費する、エンターテインメントに近いものと捉えるかもしれません。だけどワイルドにとっては逆で、アートをまず作り、その中にネイチャーが入り込むという発想なんです。

福山:すごいですね。ワイルドの頭の中は一体どうなっているんだろう?

【後編:シェイクスピアとワイルド、その演劇性】も近日公開!

◆河合先生おすすめの予習用本&映画
オスカー・ワイルド/著 河合祥一郎/訳 『新訳 ドリアン・グレイの肖像』(角川文庫)
オスカー・ワイルド/著 河合祥一郎/訳 『新訳 サロメ』(角川文庫)
宮﨑かすみ/著 『オスカー・ワイルド 「犯罪者」にして芸術家』(中公新書)
映画「ドリアン・グレイ 美しき肖像(字幕版)」(1972)
映画「さすらいの人 オスカー・ワイルド」(2018)


作品名ミュージカル『ワイルド・グレイ』
期間2025年1月8日(水)~1月26日(日)[全29公演]
会場新国立劇場 小劇場
座席表
チケット料金チケット好評販売中!

・S席:10,500円
・バルコニー席:8,500円
・Yシート:2,000円 ※販売終了
・U-25:7,000円
(全席指定・税込)
ツアー公演名古屋、大阪、高崎
作品HPhttps://horipro-stage.jp/stage/wildgrey2025/

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