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【劇中歌MV公開】『hana-1970、コザが燃えた日-』松山ケンイチ×かりゆし58 鼎談in沖縄

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2021年12月18日(土)

栗山民也×畑澤聖悟(こまつ座「母と暮せば」)と松山ケンイチが初タッグを組み、返還直前の沖縄を生きる人々を描く『hana-1970、コザが燃えた日-』が来年1/9(日)開幕する。

(文:小杉厚/インタビューカット撮影:G-KEN)

 

▼『hana-1970、コザが燃えた日-』

《東京公演日程》
期間:2022年1月9日(日)~1月30日(日) 
会場:東京芸術劇場 プレイハウス
ほか大阪宮城公演あり。
 

▼STORY

1970(昭和45)年12月20日(日)深夜。コザ市ゲート通りにある米兵相手のパウンショップ(質屋)兼バー「hana」では、看板の灯が落ちた店内で、おかあ(余 貴美子)、娘のナナコ(上原千果)、おかあのヒモのジラースー(神尾 佑)が三線を弾きながら歌っている。そこへ、アシバー(ヤクザ)となり家に寄り付かなくなった息子のハルオ(松山ケンイチ)が突然現れる。おかあが匿っていた米兵を見つけ、揉めていると、バーに客がやってくる。「毒ガス即時完全撤去を要求する県民大会」帰りの教員たちだ。その中には、息子のアキオ(岡山天音)もいた。この数年、顔を合わせることを避けていた息子たちと母親がそろった夜。ゲート通りでは歴史的な事件が起ころうとしていた。血のつながらないいびつな家族の中に横たわる、ある事実とは。

 

本作の劇中歌として使用されているフォークソング「花はどこへいった」は、これまで日本でも、ザ・ピーナッツや忌野清志郎、Mr.Childrenなど数々のアーティストにカバーされてきており、世界一有名な反戦歌とも言われている。そしてこの度、劇中で実際に歌声を披露する沖縄出身で本作で舞台デビューするナナコ役の新人女優・上原千果が、かりゆし58とコラボしたMVが完成した。監督は、来春公開される、本作同様コザ市を題材にした映画「ミラクルシティコザ」の脚本・監督である平一紘氏が務めた。このMVは嘉手納基地へと続く”コザゲート通り”にあるバーでの物語である本作に合わせ現在のコザの街並みを、かりゆし58の前川と新屋が歩きながら紹介するように撮影された。米兵をはじめとする多国籍の人々が行き交い、一つ裏を入ると地元の人々の生活が垣間見え、「音楽の街」とも言われるコザの”チャンプルー文化”を感じられる映像となっている。

 

本作の稽古に入る前、役作りの下準備として当時の様子や時代背景を勉強するため沖縄に入った松山ケンイチに、かりゆし58のヴォーカル/ベースの前川真悟、ギターの新屋行裕とともに、実際に沖縄で取材してみて感じたことを語ってもらった。

 

かりゆし58プロフィール

2005年4月沖縄で結成の4人組バンド。沖縄音階にロック、レゲエをチャンプルーしたサウンドと、かざらない言葉でメッセージを発信し、世代を超え人気をよんでいる。2006年2月ミニアルバム『恋人よ』でデビュー。母への感謝の気持ちをストレートに唄った「アンマー」が多くの共感を呼び、日本有線大賞新人賞を受賞。今年2月22日にはデビュー15周年を迎え、最新作『HeartBeat』を配信リリース。沖縄で生まれ育った彼らならではの『島唄』を全国に向け唄い続けている。

https://kariyushi58.com/

 

 

哀しい境遇にいる人たちに寄り添うような歌を

 

松山ケンイチ

 

松山ケンイチ(以下、松山)劇中に『花はどこへいった(Where have all the flowers gone)』を出演者が歌うシーンがあるんです。すごく素敵な歌なんですが、それがどういうふうに伝わるように演じればいいのかが難しくて。

前川真悟(以下、前川):童話みたいな歌詞ですもんね。説得力とか歌唱力とかより、今回沖縄にいらしてますけど、日本の中でもベトナム戦争が身近にあった島の空気を吸って、それを吐くときに偶然、歌詞とメロディがあったくらいの感じで歌ってもらえれば沖縄らしいというか。

松山:この曲って慰めの曲なんですかね。それとも前向きな曲なんですかね。

前川:解釈については、誰もこれとは言えないと思うんですけど、僕はいろんなものがめぐりめぐるさまを、つぶさに純粋にスケッチしたんだと思います。だから悲しく感じるかもしれないし、やさしく感じるかもしれない。もちろんメッセージはあるでしょうけど。

松山:いろんな立場の人が、いろんな想いで歌うような曲なんですね。

前川:だと思います。

 

劇中曲『花はどこへいった(Where have all the flowers gone)』を歌唱する上原千果

左より 新屋行裕(かりゆし58)、上原千果、前川真悟(かりゆし58)

 

松山:今回、いろいろと沖縄を回らせていただいて話を聞いて、ものすごく複雑な気持ちなんですよね。日本とアメリカの立場と視点。そしてナイチャー(沖縄の人が本土の人のことを指す言葉)の視点と立場がそれぞれ違う気がして。決してそれがいいとか悪いとかではなく、複雑に絡み合っているので、劇中で描かれるコザ騒動*にしても「こういうものだった」と一つの方向からは言えないし捉えられない。だからすごく難しい。

とんでもないことをやろうとしているのだと沖縄に来て実感しました。この作品と向き合うにはコザ騒動を調べるだけではなかなか難しくて。やっぱり戦争中に起きた出来事、もしかしたらその前にあった出来事とかが全部つながってくるんですよね。

 

*コザ騒動とは?

1970年12月20日未明、アメリカ統治下の沖縄コザ市で、アメリカ軍人が沖縄人をひいた交通事故をきっかけに、沖縄人がアメリカ軍関係の車およそ80台に火をつけた事件。背景には、アメリカ軍施政下での圧制や人権侵害に対する沖縄人の不満があった。

 

 

前川:この島には本当に世界の縮図みたいなところがあって。

「沖縄で起こっている問題を解決できれば、世界中の問題を解決できる」という人もいます。貧困や政治の歪み、国と国の軍事力の境界とかいろんなものがありますけど、だからこそ複雑で多面性がある。僕らの周りにいる先輩とかからしか話は聞けていないんだけど、結局自分の中で「これを信じたい」と思うものを強くかざすことが自分を救う真実になるし、ひいては周りにいい未来を生み出す真実になると思っていて。

さっき松山さんがおっしゃった「どんな気持ちで歌えばいいんだろう」という問いに対するヒントになるかどうかはわかりませんが、コザにはアメリカと日本、そして沖縄の三つ巴があった影響でロックの街と言われているんですよ。その象徴の一つに紫というバンドがあって。そのギターを弾いていた先輩にこの間お話を聞いたんですけど「俺たちはハードロックだと思われているしみんなもロックだと言うけど、実はジャンルはロックじゃないんだ」と。

松山:それはどういうことですか。

 

かりゆし58・ヴォーカル/ベース 前川真悟

 

前川:ベトナム戦争に行っていたのはみんな黒人を始めとする有色人種の兵隊で、命令が出ればそれこそ帰ってこられるかわからない戦場へ送られる。そうなった命の際で「俺の故郷の音楽なんだ」と兵隊たちがレコードやテープで持ってきたものを耳で一生懸命コピーして、彼らを送り出すライブをするんだと。そこにあったのはブルースや黒人音楽がほとんどで、それをやっているうちにだんだん誰かが大きな縛りでロックと言うようになったそうなんです。

戦場に送られる彼らは故郷に帰ることなく、ここが最後に見た街になるかもしれないというときに、鳴らす音楽をただやりたかっただけなんだとおっしゃっていて。だからこれは誰かに届けるというより、そっと寄り添うような歌であってもいいのかもと思いました。

松山:勉強になります。今日、この前に話を伺ったのが沖縄とアメリカのハーフの方だったんですよ。だから思っていることもまた全然違う。沖縄とアメリカ、どちらの視点からも話をされていて、それもすごく興味深かったんですよね。

新屋行裕(以下、新屋): ハーフだとおばあちゃんとかから「アメリカ―」と言われたりして。そういうのも沖縄の「あるある」ですね。

 

かりゆし58・ギター 新屋行裕

 

松山:コザ騒動のとき、アメリカ人は車をひっくり返されたじゃないですか。次の日が日曜日だったから、当時子供だったその方は騒動の跡を見に行ったんです。そうしたら、そこにいたおじさんに「お前、自分の顔を鏡で見たことがあるのか。早く帰れ」と言われて殴られたそうなんです。そう言われて当時は意味がわからなかったけど、大人になってわかったという話をされていましたね。

前川:これは国と国の喧嘩だとか言っても「じゃあ誰が国なんだろう?」みたいなことになってきますよね。

松山:コザでも、白人と黒人とでは街が分かれていたと聞きました。

前川:以前、僕の実家が南部から空港の近くに引っ越して。小禄というエリアなんですけど、そこは白人の将校が住む街だったんです。だからインフラも早めに整備されていたみたいで。そこで育った、ちょうど復帰の年に中学校に上がるか上がらないかくらいだった先輩は、寿司職人になるために東京に行ったんですが、そのためにベトナム戦争から帰ってきた方々の遺体を洗って日銭を稼いて貯めていて。その先輩から「白人なんて誰も死んでないよ」と聞いて「ああ、やっぱりそうなのか」と思いましたね。誰が人種で上下を決めるのか……それは人間の不思議なところだと思います。

松山:そういうことってニュースにはならないですよね。

前川:そうなんですよね。

松山:ここで初めて知ることがたくさんありました。

 

 

過去は忘れない。
けれど誰かを憎みはしない島


前川:沖縄は小さな島ということもあって、バンドの間にも横のつながりがしっかりあって。お互いの家を行き来したり、飲みの場で先輩後輩、ジャンルも超えて集まるんです。でも意外とバンド同士がコラボした曲が今までなかったんですよ。「仲がいいからそのうちやろうね」とか「いつでもできるね」と飲み会での話だけで終わってたりもして。

でも今回のコロナ禍をきっかけに、今卒業を迎える中高生は学校行事がほとんどできなかったから「卒業式で歌えるような歌をみんなで作ろう」と言って、先輩のBEGINやMONGOL800を始めとする沖縄中のミュージシャンが集まるようなことが始まってきて。「来年は本土復帰50周年だから、みんなで一つの大きなバンドを組んで、みんなの歌を演奏し合ってステージにしよう」とか、誰になにを残すのかという動きがはっきりしてきました。沖縄の音楽には暮らしの中に生まれて暮らしに溶けていくというのが根本にあるし、こういう時代だからこそ「今の暮らしに溶けていく歌ってどんなものなんだろう?」ということを、みんなが一緒に考えている。

 

Smile togetherプロジェクト

コロナ禍で迎える卒業を最高の思い出にするため、沖縄県の高校3年生と沖縄の豪華ミュージシャンが共演したプロジェクト。

https://smiletogetherokinawa.amebaownd.com/

 

松山:沖縄には、この島は唐の文化になって、日本の文化になって、アメリカの文化になって、また日本の文化に戻って、でもそれでもなんとかやっていこうという内容の、古い曲もあると聞きました。ここはある意味、翻弄されてきた場所じゃないですか。今回の台本は沖縄が本土に復帰する前の話なんですけど、やっぱりナイチャーの人たちからしたら日本というものを我が国だと思えるのかどうか、僕にはよくわからないところがあります。「日本人ってなんだろう」というところがなにかあるんじゃないかなと思っていて。

前川:琉球と呼ばれた頃からの沖縄の歴史を見ると、虐げられてきた悲しみや痛みを探せば、いっぱい出てくると思うんですよ。

でも僕が誇りに思うのは……琉球王朝時代、この島は大陸、朝鮮半島、日本を始めとするアジアの交差点だったんです。千年近く前には倭寇が暴れていて、大陸や半島の人たちを連れ去って沖縄に寄り、彼らを奴隷として売るんです。彼らを買い取った沖縄の人たちがなにをしたかというと、彼らの出身地を聞いて出身地別に街を作って人数が100人、200人と集まったら、出身地に船で送り届けたりしたんです。その間に首里城では強国の使節が来たときに喜んでもらうための芸能が生まれて。武力を使わず相手を受け入れることで国を立ててきた島なんです。自分はそこに生まれた芸能に一番誇りを持っています。

あとマルコ・ポーロの『東方見聞録』に琉球人についての記述があるんです。どういうふうに記されているかというと、ほかの国の行商人たちはちょっと脅せばみんな逃げていく。「安くしろ」と言うとひどい人は品物を置いてそのまま逃げてしまう。でも琉球人は「主から預かってきたものだから安くはできない。欲しかったら俺を殺してから持っていけ」と言う民族だと。

だからさっきおっしゃったように理不尽かつ無慈悲な暴力に虐げられてきた面はあるかもしれないけど、その中でも自分の命より相手からの信頼を大事にしていたことを誇りに思うし、相手と溶け合おうとする沖縄の開かれた心に、自分の根っこを感じていたい。耳を塞ぎたくなるような、目を背けたくなるような事柄を知らんぷりすることはないけれど、最終的にたどり着くのは誇りと愛情でありたい。

松山:それは過去にあったことを許している、ということなんですか?

新屋:許しているとは違うよね。

前川:受け入れているんだろうね。忘れないけども。

新屋:そこを共有したいというか。一応、お互い人間という同じ生きものじゃないですか。沖縄の人間としては、それを一番大切にしたいというのがありますね。戦跡の多い町で育ったので、そういう過去はいっぱい教わってきたんですよ。でも、だからといって日本を憎めとか、アメリカを憎めとかは絶対に言わない島です。

前川:僕らは沖縄南部出身で、すぐ側にはひめゆりの塔や摩文仁の丘があって。でも「いつか仕返ししてやろう」みたいな恨みつらみの連鎖は、俺たちのじいちゃんばあちゃんたちからもらってないからね。「あのとき、お腹いっぱいものが食べられなかったから、あんたたちは食べなさい」とか、痛みの上に沖縄の人たちが残してきた思いはそういうもの。

きっと松山さんも今、こうやって真摯に沖縄と向き合えば向き合うほど、どう受け止めればわからない複雑さを感じるだろうと思います。でも沖縄の人たち……、少なくとも俺たちが話を聞いてきたおじいおばあ、父ちゃん母ちゃんは、松山さんにそんな気持ちになってほしいんじゃなくて。「よく来たね、ご飯食べなさい」、「沖縄の音楽最高でしょう? あなた歌いなさい」ということを伝えたいはずだと僕らは信じています。

 

ポジティブなものを信じ、痛みや悲しみをやさしさへ

 

左より 新屋行裕(かりゆし58)、松山ケンイチ、前川真悟(かりゆし58)

 

松山:2日前に沖縄に来て、いろいろな方からお話を伺ってきたんですけど、やっぱりそういう方々ばかりでしたね。その中に、いろんな資料を見ながら歴史的な背景を説明してくださった方もいたんです。その方によると、沖縄戦のとき、嘉数高台のところに日本軍の前線基地があって。でも途中から兵隊が軍服を着るのをやめて住民の服を着出したそうなんです。そうなるとアメリカ軍側からしたら……。

前川:住民なのか伏兵なのかがわからない。

松山:だから住民であっても殺さざるを得なくなる。基本的に戦争は兵隊と兵隊が戦うというルールがあると思うのですが、そういった行為を日本兵がやったことで、失われずにすんだ命が失われていった。すごく悲しい出来事だと思ったのですが、それはある意味、味方に殺されるということですよね…

前川:信頼していたはずの……。

松山:僕はそういうことをどう受け止めていいのかもわからない。

当時、鬼畜米英とまで言われていたアメリカの人たちの中にも心を痛めている人たちはいて。一方では味方だと思っていた日本兵が隠れている防空壕の中で泣き声がうるさいと言って、赤ちゃんを窒息死させた話も聞きました。当時の価値観というか教育だったのかもしれないですが、今考えるとやっぱり沖縄の人は日本が憎らしいんじゃないかと僕は思うんです。自分の中で消化できない過去ですし、それでも前を見てみんなでやっていく……さっき前川さんがおっしゃった「とりあえず飯を食いなさい、用事は飯を食ってからでいいから」と言って、それで用事を忘れてまた来る、そんな境地にどうやって行き着くのかが想像できないんですよね。

前川:底知れぬ痛み、悲しみから、それを底知れぬやさしさに変えていくというかね。許せるか許せないかは、ひとからげには言えないと思うんです。だから人は歌うんじゃないかなと僕は勝手に思っているんですけど。

6月23日というのは沖縄の陸上戦が終わった日なんです。そこから「戦争には負けたし多くのものを失ったけど、6月24日は沖縄の人たちにとって大事な歌と踊りが甦った日じゃないか」ということで、先輩のBEGINが毎年6月24日にうたの日というイベントをやっているんです。それは反戦平和のイベントではなく、ただ歌が人々の手に返されたことを祝うというイベントで。それで数年前、嘉手納でうたの日のイベントをやったときに、アメリカ軍の司令官がBEGINが好きだということで、いつも飛び交っている戦闘機が一日飛ばなかったことがあったんですよ。それが本当の平和なのか、それが沖縄と日本と世界の和解なのかは置いておくけども、お互いの理解に向かおうとしたり、恨みつらみを歌声や踊りに変えようとしたりする動きがあの時間を生んだとしたら、ポジティブなものを信じて痛みや悲しみをやさしさに変えていくのはお門違いではないと思うんです。

さっきも言った通り、痛みを忘れるということではないし。僕の場合、そこに身を置くと自分の身体の使い甲斐がわかってきたというか。誰かの痛みを理解するなんてとてもできないけど、でもそこからなにかが生まれて、なにかを感じて喜ぶ人が一人でも多くなるためなら、俺の心や身体は折り合いをつけながら動いていけるんじゃないかな、と。あの戦争から70数年という時を経て、若者から中年に向かって年を重ねる僕らがこういう話をしながら、次に向かってなにか形にしたり、それを見た誰かになにか感じてもらうことはすごく建設的だと思うし、未来をちょっと照らす一幕にもなると思える。

僕はそうありたいし、そこに向かっていく仲間ならばアメリカもヤマトも関係ないんじゃないかなというところはある。

松山:一言では言えないですが痛みの伝え方というんですかね。今の話を聞いていても、それは自分の中になかったと思いました。どれだけ痛かったかを伝える、ということではないんだなと思いましたし、この気づきを活かしていければと思います。

前川:楽しみにしています。

 

 

 

 

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【公演概要】
『hanaー1970、コザが燃えた日ー』

<スタッフ>
作:畑澤聖悟
演出:栗山民也
美術:伊藤雅子
照明:服部 基
音楽:国広和毅
音響:井上正弘
衣裳:西原梨恵
ヘアメイク:鎌田直樹
映像:栗山聡之
方言指導:今 科子
歌唱指導:伊藤和美
三線指導:宮里英克
ドラマターグ:工藤千夏
演出助手:田中麻衣子
舞台監督:加藤 高


<キャスト>
松山ケンイチ
岡山天音
神尾 佑
櫻井章喜
金子岳憲
玲央バルトナー
上原千果
余 貴美子

<東京公演>
期間:2022年1月9日(日)~1月30日(日)
会場:東京芸術劇場プレイハウス
主催:ホリプロ
企画制作:ホリプロ
※ほか2月大阪公演、宮城公演あり

公式HP https://horipro-stage.jp/stage/hana2022/
公式Twitter https://twitter.com/stagehana #舞台hana

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