FEATURE・INTERVIEW
特集記事・インタビュー
特集記事・インタビュー
『ファインディング・ネバーランド』連載コラム|【第2回】 ジェームズ・バリの生きた時代 小さな大人って? ー子供を子供と思わぬ社会ー(文=福田剛士)
2023年2月7日(火)
小さな大人って?
―子供を子供と思わぬ社会―
ケンジントン公園のラウンド・ポンド(丸い池)1905年頃。
一八世紀半ば。英国に大変革の嵐が巻き起こった。産業革命の勃発である。蒸気機関の発明により、工場という斬新な設備が現れ、機関車という鋼鉄の怪物が出現することになった。地方で生じた産業革命は、数十年のうちに英国中を席巻したのである。では、この革命によって何が大きく変わったのか?それまでの英国では、貴族・金持ちと、庶民の二極構造があった。そこへ中産階級という層が割り込んできたのである。いわゆる成金という人々である。
バリの実家も、この革命によって時流に乗った口である。貧しい機織りに過ぎなかったバリの父は、時流に乗り遅れずバリを大学までやったのだ。バリの生きた一九世紀の後半は、こういう庶民から成り上がった金持ちが、大いに台頭したのである。
一方で、ロンドンの下町には古き良き街頭商人が息づいていた。ケンジントン公園に来たアイスクリーム売りも、その一人だ。つまり、バリのように成功を収める者もいれば、淡々と己のペースで暮らす者たちが、混在している。そんな社会であったのだ。
19世紀後半のアイスクリーム売り。
価値観についても、古きと新しきが互いに乗り上げていた。例えば、「子供」という概念である。一九世紀の半ばまでは、子供イコール「小さな大人」という考え方が主流であった。機械が未発達の時代ならば、大人も子供も力の差はあれど、やれる事は似たようなものだからだ。幼い頃から徒弟として修行に入るのが当たり前であったし、一〇代で仕事をこなせたものだった。
だが、目まぐるしく科学技術が発達した一九世紀の後半を迎えると、そうは問屋が卸さなくなったのである。高度な専門知識が必要な仕事が誕生し、大人でないと理解できないことが増えてきたのだ。そうなると、子供は小さな大人ではなくなってゆく。バリが『ピーターパン』を描いたのは、まさにそんな時代であった。
一方。バリは鋭敏な感性で、子供であることの素晴らしさを嗅ぎ取っていたのだ。大人になればなるほど、輝く何かを失ってゆく。それにいち早く気づいていた。
ここに到り、大人になることをやめた文豪が、誕生したのである。
第3回:ケンジントン公園 ピーターパンに会いたい?─それなら、あそこにいかないとね─ は2/9公開予定。
【公演概要】
ミュージカル『ファインディング・ネバーランド』